再開、再考、再構築、11日目

前回、人は初めのうちは生理的傾向的欲求によって成長するが、ある時からその質を深めなければ満たされなくなってきて、その時初めて自分の生理的傾向的欲求を抑えて価値観的欲求に向かえるのかもしれないと書いた。そして、この時の変化こそが本当の意味での変容といえるのではないかと。今回私の中で起きたことがまさにそれに当たる。その具体的な事例を書こうと思う。だが、それは長い話になりそうだ。結論だけを書いても、現段階での最終的な今起こったことの前に、それまでの欲求と行動の変容をかなり遡らないと私の本当に言いたいことが説明できないような気がするので。

私の中で何か書きたいという欲求が出てきたのはいつのころだっただろう?本を読むことは好きだったので、小説を書きたいとは思わなかったが、興味深いエッセイなどに出会うと、自分の感じたことをこんな風に文章に表現できるとどんなにいいだろうと思っていた。しかし、私の中で何か書きたいというものが湧き上がってくるわけでもなく、何かを書こうとしても何を書いていいのかわからず途方に暮れる感覚があった。それでいつしか私は表現する人間ではないと自分で決めてしまった感がある。特に結婚して専業主婦だったころは、私は今生は子供を育て、本を読むだけのなのだとかなり強く自分に言い聞かせていた。それを大きく揺るがしたのは岸見先生との出会いだろう。岸見先生にはその著書に感銘を受け、どうしてもそのカウンセリングを実際に受けてみたいと思いお宅を訪ねたことがある。その時に私のとっておきの悩みを携えていったのだが、話はもっぱら、共通の興味の人物である神谷美恵子さんの話になった。悩みの方はそのあと私の話を的確に要約してくださって、自分という人間がやっていることを一瞬のうちに自覚して終了。その要約はあまりにも見事だったことを覚えている。その時に聴いた岸見先生の執筆するときの話や過去にやってみたことなどの話が私に大きな刺激を与えたのは言うまでもない。おそらくその時から私の中の奥深くで静かに書くという欲求の灯が再び灯された瞬間だったろう。それでも、それを表に出すまでにはまだ相当な時間が必要だった。自分でもその欲求の再燃に気づいていたかどうかは怪しい。それでも自分の中で書くジャンルを模索していたのは事実だ。ある時、それも岸見先生から木村敏先生の著作を教えていただき読み始めたら、それがとても面白くその思索に非常に感銘を受けたのだが、途中でそれが論文集だったとわかり驚いたことがあった。論文というと大学の学生や偉い先生が書くもので一般人には縁のないものと思っていたし、ましてや面白いと思えるものではないと思っていたからだ。その時私の中で、自分がこんなに面白く感じるものならきっと私にも書けるのではないかと思った。でも、やはり書く内容については何も浮かんでいない。ちょうどその時コーチングのトレーニングに東京まで通っており、そのトレーニングでは相互練習のため、自分のテーマも設定する必要があるので、私はその4か月のトレーニングずっと「論文を書く」というテーマで仲間を呆れ出せた。なぜなら、テーマにするにはあまりにも漠然とした状態だったからだ。でも私はその時藁をもすがる状態だったのだと思う。実はその一年前にもデモセッションのクライアント役になった時、「書く」というテーマを挙げている。その当時はそれまた岸見先生に教えていただいたシモーヌヴェイユの本を読み、彼女が自分が教えた生徒たちに、必ず2時間文章を書くことを課していた話に刺激されたからなのだが、その時は書く環境とジャーナリングをすることにして、少しは前に進み始めてはいた。それからのち、好きな本を写したり、天声人語を写したり、そのための万年筆に走ったり、読書しながら思索日記をつけたり、福ちゃんの勧めでブログに長文を書いていくこと、そのためにこのホームページも作ってもらった。振り返ってみれば、自分なりに思いつく限りのあらゆることやってみてはいる。それでもある時期から、書くということをあまり考えなくなり、それよりも読書の方に重点が行くようになっていた。とはいえ、思索はずっと自分の中で続いている。これだけはなくならない。逆に言えば、私の中で占める一番の大きなものは思索することなのだ。好きだった手芸も、その本当の目的はモノづくりというよりもその作業中にその時読んだ本からの考えを自分の中で構築していくいわゆる熟成の時間だった。でも、私はそれを書くというより話す方を好んだ。私のコーチングに興味をもってくれる生徒さんや仲間、セッション練習の相手役の時に使うテーマとして、また自分が受けているコーチングセッションの時に、挙句の果てに、それを話して意見を言ってもららい、それをワークで実験する「マイニングオブセブン」という場まで作った。福ちゃんとのミーティングの時にもかなり話していた。それでも話しつくすことはできないし、またいつもうまく説明できないので、相手の人は懸命に聴いてくれ、何かしら持って帰ってくれるものの、いつも私の言語化能力のまずさを感じていた。多分私の話がより専門的な内容を含んできたと同時にさらなる言い尽くせない感を感じ始めたころからだろう。話し終わるとそれまで以上に虚しさを感じるようになってきていた。私の話が単に聞いてくれる方を疲れさせてるだけなのではないかという気持ちが強くなってきたのだ。それまでも、少しは感じていたことだが、私が独りよがりの話好きなだけの人間から少し成長したのかもしれない。そしてある時、それは訪れた。いくら話しても表現しきれないし完全に通じることはないんだという孤独感。完全に通じないということぐらいは当然承知しているが、そのことがどうしようもない孤独感として襲ってきた。その時、やっと私は、話すことで自分の中のことを言葉で表現する欲求を中途半端に満たしてしまっていたのではないかと思い当たった。自分が文章で表現すべきことを話すことによってその欲求をある程度満たし、いつまでも書き始めない。そのはけ口は相手の反応に頼っている。そこに伝わらないというフラストレーションを勝手に作り上げていたのだ。私の考えを押し付けるのではなく、できる限り言語化していき、やがて興味をもってくれる人がどこかにいればその人が読んでくれるだろうし、だれも読まなくても、私が読む。誰かに話すことは、もちろん私にもかえって来る。ダイレクトに受け手がいるのは、そのことでアイデアが湧いたり、考えの整理ができたりするときはいいが、私のようなものが最終的な満足をそこに求めるのはまだ早い。そこまでちゃんと言語化できていないからだ。自分の考えや感じていることをもっと深いところから考えて言語化し、それが何か必要性があるものに昇華しなけば誰かに話す価値はない。そこまでなっていないものは相手に話すことでその内容は空気のように浮遊してやがて消え去ってしまうのだ。

私は、この虚しさと孤独感から書くということにもう一度向き合い始めることになった。

この「誰かに話す」というのは、おそらく私の生理的欲求に当たる。これがもはやそれだけでは満足できなくなった時、それまで怖くて始められなかった「書く」という価値観的欲求が再び顔を出すことができ、向き合い始めた。何度も何度も心の奥底に沈められてきた欲求である。でも、もしかしたらこれも表面駅なものかもしれない。それは書き始めてみないとわからないことだ。

それでもまだ本当に始まるまでには、他者からの刺激が必要だった。

次はやっとそれを書こうと思う。

 

2020.5.30 am9:08 2.5h

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