再開、再考、再構築

久しぶりにここに書くことを再開しようと思うなんて自分でも信じられないことだ。もうこのホームページに何かを投稿するなんてないだろうと思っていた。でもあることをきっかけにやっと毎日書こうという気になれた。まずは、このホームページを作ったころの私から振り返り、さらにここに至る経緯からはじめていこうと思う。その過程で今考えていることも同時進行で書いていけるだろう。

このホームページを作った目的は、文章を定期的に書く習慣をつけるためのものだった。なんの文章かというと、私の日々の思索したものという生意気なもの。そもそも思索ということをしているかもわからない人間に書けるわけもないだろう。でも、私はいつも何かについて考えていることは事実としていえる。それが他愛もないインスピレーションにしか過ぎないことや、何の意味もないことだったとしても。いつも何かしらの考えを知らず知らずのうちにこねくり回し気が付いたらそのイメージはとんでもないところまで飛躍してしまっている。でも私はその時間がとても好きだ。それにむかって、頭にストレスをかけている時が一番楽しい。

ところが最近その思索をしていないことにふときがついた。考えてみれば、あの頃の私の思索は主観でしかないもので、それで本当に何を言いたいかを言語化することは全くできていなかった。このホームページを作ってもらったのはそのころである。それまでの私は(今でもだが)文章をかくといってもSNSでの短い投稿文ぐらいしか書いたことはなかったし、何か書こうとしてもどうしていいかわからない。何を書くかもわからない。何のために書くかも決められない。そんな状態だった。書かなければならないことはあった。それは仕事用のホームページにブログを書くこと。でもそのように半分義務として書かなければならないことにはまったく興味を持てなかった。書けるとしても、すぐに反応のわかるSNSにしかそのモチベーションは湧いてこず、福ちゃんはもっとしっかりと文を書けと私にはっぱをかけるものの、私は気が乗らない理由ばかりを並べていて、ある時思索用のホームページを作ればかけるような気がするからと依頼したのだ。「福ちゃん」とは、プロのSEさんで、彼はコンピューター関係のいろんなことを仕事にしていた。コーチング仲間でもあり、議論仲間でもある。のちに私が仲間と共に立ち上げた法人の監事も引き受けてもらった人だ。彼には最初から仕事用のホームページを依頼し、その内容更新のために毎月ミーティングをお願いしていた。プロの彼に頼むということはもちろん報酬を支払うということだ。彼とはビジネスでのお付き合いでしかない。でも話始めるとお互い議論好きなので朝11時から夜の8時9時までその議論は続き、いつも時間切れで続きはまた来月ということになった。

このホームページは、そんな状態でさらに作ってもらった半分趣味のホームページ。福ちゃんもちゃんとお金を払ってくれるのか最後まで半信半疑だったようだ。だが、決して安くはないお金を払うというのも私にとっては文章を書くという行為を自分に課していく大義名分の一つだった。あらためて自分の贅沢なやらない理由付けに我ながらあきれる。。本当にできる人は今ある環境の中でもできるはずなのだ。薄々気づいてはいたもののどこかで噓から出た実が起きるのではないかと期待したが、やっぱりこういうことはそんなに甘くない。やはりこのホームページは2,3回投稿されただけで放置されることになった。

そうして、ある日福ちゃんは突然帰らぬひととなった。

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