再開、再考、再構築、6日目

長井真理さんの本が今の私の方向性へシフトさせることになる。まずはその本と出合うことになった経緯について述べてみたい。彼女の書いたものをもう一度読もうと思ったのは、中動態が重要なワードとして私の中に浮上してきたためだったのは前回書いた通りだ。だが彼女の本を読むまではここまでの影響を受けるとは正直思っていなかった。最初は中動態についての正しい意味を確認できたらいいぐらいだった。3年前に岸見一郎先生から木村敏氏のことを教えていただいた頃、ちょうど日本医学哲学・倫理学会大会が兵庫県立大学明石看護キャンパスで開催され、岸見先生もそこで講演をされることになり、木村敏氏も来られるというので当時彼に傾倒していた私にも来たらどうかとお声をかけてくださったことがあった。私としては岸見先生と木村敏氏の講演が同時に聴けるまたとないチャンスなので喜んで行った記憶がある。そういえば、と、その時のパンフレットに木村敏氏が使われた資料があり久しぶりに出してきて眺めてみた。するとそこには長井真理さんのことと、彼女が研究していた中動態のことがいきなり出ていた。あの頃は中動態に対してそんなに興味がなく記憶から抜け落ちていたようだ。彼女は分裂病の中でこの中動態を扱っており、私とは切り口が違うが、その研究は人間本来の持っている意識や認識の仕方の特徴を知るのに重要だと私は考えているのでとても参考になる。木村敏氏の本を読んで最初に強烈に感じたことだが、私たち一般の人間が当たり前にできていることに気づくには、それが難しくなった人の言葉からしか知ることができないということ。それができなくなって初めて私たちは日ごろ気づかなかったその特性の働きや重要性に気づくことができる。日ごろ息をしていても空気の存在を忘れている私たちが息ができなくなって初めて空気が私たちに与えてくれていた恩恵を思い知るのと同じだ。そのころの私の興味はそのあたりの驚きでとどまっていた。

この資料を読んで、もう一度3年前に求めた医療系の論文集を出してきて長井真理さんの論文をもう一度読んでみたが、そこにはさらに専門的な研究が述べられていて私の理解を超えるもので中動態のことはわからなかった。そこで木村敏氏の本、『精神医学から臨床哲学へ』をもう一度引っ張り出し、長井真理さんのことが書かれているところを探してみた。そうしたら3年前に見落としていた書籍の紹介が目に飛び込んできたのだ。そこには、長井真理『内省の構造ー精神病理学的考察』木村敏編、岩波書店、1991年。と出ていた。

すぐにネットで検索すると古書が出てきた。思わずその中の一冊を選んで注文した。古書なので届くまでしばらく時間がかかる。その本がやっと届いたのは、私の54歳の誕生日の前日だった。私がそこに何か意味を見つけたくなるのは、私が彼女の本を単なる資料として取り寄せたのではなく、長井真理その人として私の中で存在させたからに他ならない。今の私になるまで出会えなかった人として。

そして、彼女は私の中で、ある意味、第二の神谷美恵子になったのだということを読みながら感じることになる。

 

2020.5.23 am7:30書く

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