再開、再考、再構築、12日目

表題には12日目とあるが、前回書いた日からすこし日が空いてしまっている。この日にち表現は回数的な意味合いの方が強いのでお許し願いたい。

書かなかった日の理由は、前回の内容にリンクする。すなわち、私の生理的欲求に負けていた時間だった。一つ目は、おそらくまだ慣れていない早起きと徒歩でこなさなければならなかったの日常と仕事の用事が多かったこと。さらにそれに重なった仕事のオンラインと大きな講演会主催後の疲れ。これが身体的な要因。二つ目は、待ちに待ったパソコンThinkPadが到着したこと。それに伴い、慣れてないキーボードに慣れるために、キーパンチのトレーニングを優先したこと。これは物理的な要因といえる。三つめは、書くという創作(クリエイティブ)な作業をつい避けてしまうことだ。これは心理的な要因。この三つの要因はかなり絡み合っており、いつでも本当にしなければならないことを後回しにさせる力がある。何かを生みだすという作業は、やはり普段の気分に、未知の空間に飛び込んでいくときの身体的な感覚を呼び起こす。それは今から大変な作業をしなければならない時にいつも感じる、ある種の面倒くささと、予想される疲労感、その奥にある未知なるものへの恐れだ。これに打ち勝つののはかなり大変だ。心理的な要因に打ち勝つことができれば、ほぼほかの要因は我慢できるため、価値的欲求に奉仕することができる。私はここ一週間ほど、生理的欲求の声を聞いて過ごしていたといえる。だが、そろそろ戻ってこようと思えたのはよかった。それは、他の要因が片付いて言い訳できなくなったからかもしれないが、それ以上にこの欲求が強かったからだろう。この欲求が弱ければ、ほかにも次々と違う要因を作り出してしまい、さらに寄り道を続ける。

一旦それてしまったものを戻すためには、いろいろ工夫を重ね再度その気分のお出ましを待つしかない。この当たりは、自分のことといえどもコントロール不可能ともいえる。いかに屈強な男といえども抗うことは難しいデリケートな問題だ。単にずぼらとかいい加減とか責めても、ちゃんとやりなさいと叱咤激励しても何の役にも立たない。しかもそれは何年もかかることがある。始まるための下準備期間が必要な時もあるが、たいてい自分との折り合いをつけるために、いい加減抗うのをあきらめる状況まで待たなければならないことがほとんどだ。

これに有効なことは環境を整えて自分をそこに置くことだろう。自分の変化や行動を起こすためには外部からの刺激による影響は大きい。今日は私の行動のために、外因的な影響がいかに重要だったかについて書こうと思う。

この度のことで、外因的な要因といえるものを挙げてみると、まず、自転車が壊れて徒歩が始まったこと。次に、早起きの人からの刺激を受けたこと。そして、さらに大きな影響は、この2020年初めから世界を襲った新型コロナウィルスの影響で非常事態宣言が出され、社会が自粛モードになったことがある。この時、私の仕事はすべてオンラインとなったため、自分のオフィスは実質的に自分だけが過ごす場となる。それまでも本棚が両面入ったことでそれは始まってはいたが、さらに読書のための書見台と椅子と机などをそろえるなどして加速していった。社会の全体的なムードの影響は大きい。私は大義名分を得たのだ。オフィスを自分のための環境にするための。その時、仕事のための環境から自分のための環境になってしまったと断言できるほど、私の中でオフィスという場所の意味合いは変わってしまった。だが、ここにきてもまだ朝型への移行は起きていない。以前よりは興味を持っているという状態にとどまっていた。

さらに、何が必要だったかといえば、私の中での朝型のための強力な必要性だろう。それは、私のその時読んでいた本から感じることとなる。

自分のための環境が整ったことで、しばらくは単にそのことだけで満足感を感じていたのだが、やがて自分の過ごし方に疑問を抱くようになった。せっかく環境は整ったにもかかわらず、仕事の量自体がそんなに変わらなかったため、時間の使い方自体は変わっていなかった。そして、慣れないオンラインの仕事の後に夜遅くまでオフィスにいることが疲れてきた。以前はその時間が楽しみで必ずしばらく読書をしてから帰っていたのが、その時間ぼーっと過ごしてしまうことが多くなり、帰ること自体億劫になってしまいついだらだらと居続けてしまう。そのうち0時を超えてしまい慌てて夜道を歩いて帰るという日が続いた。さらに、家では大学生の長男がリビングを勉強場所に整えてしまい、私が落ち着いて読書できる場所がなくなった。もともと寝室は本を読むには適していない環境だったので、リビングが私の家での読書場だったのだ。だから、家に帰って自分の部屋で何をするかといえば、携帯でSNSや映画を見ていた。そうすると変に目が冴えてしまい、さらに遅くまで起きてしまうという状況。しかし、それでも私は、まだそのままで、この無駄な時間の使い方が何とかならないかとあがいていたのだ。

ここで、疲れて読書できない要因にその時読んでいた本の内容がある。その時私は、初めて、読破するというかなり決意でカントを読み始めていたのだ。当然カントはやはり私にはかなり難しく、元気な時に読んでいても骨が折れる。そのため疲れている時は読書自体から遠ざかってしまうということが起き始めていた。私の中で起きていたことをもう少しまとめると、環境は整って満足している状態。オンラインで仕事も続けられている。読みたい本も新たに出てきて読書へのモティベーションはばっちり。それでも空いた時間はすべて無駄に過ごしている。という状況。そして、この状況を見たときに、私は自分が相当恵まれた環境にいるにもかかわらず、いかに貴重な時間を捨て去っているかに気付き、自分を恥じた。

そして改めてカントは朝読まなければならないことに気が付いた。

この気づきが私を一気に朝型に変えることとなる。

 

次は、いよいよ、書くことが始まったことについて書こうと思う。

 

 

2020.6.6 am 9:31

 

 

 

Follow me!